勉強や実践を重ねて、カウンセリングの知識や経験が深まるほど、
「人は、一人一人違うんだ」ということを感じます。
(ひよっこは、ひよっこなりに、そう感じます)
いや、感じるなんて生っちょろいものではなくて、
思い知らされています。
例えば、社会不安障害でお悩みの方同士でも、
それは、分類として一括りにされているだけで、
実際は、一人一人違う人間です。
表に出ている症状が同じように見える場合でも、
その原因となる根っこの部分が、全く異なっていたりします。
合併する病気・症状も様々、症状の重さも人それぞれです。
一番の悩みである主訴も人によって異なります。
もちろん、気質・性格は、一人一人違いますし、
自律神経のバランスなど、体の調子も異なります。
過去の体験や、愛着関連の満たされ具合も異なっています。
家族や職場などの人間関係。
今いる環境。
仕事の有無。
適応能力。
自責の人、他責の人。
病気に立ち向かえる人、今はまだそのタイミングではない人。
何よりも、薬と休養が必要な人。(例えば、うつ病が合併)
・・・
挙げるのは、ここまでにしておきますが、
ありとあらゆる項目で、人それぞれ異なります。
(違いの全てを把握する必要があるという意味ではありません)
それらの違いを一言で言うと、
「聴かなければ、分からない」
ということだと、私は感じています。
(理解するためだけに聴く訳ではありませんが)
なぜ、突然こんなことを言いだしたのかというと、
ブログに書く文章について、いつも迷いに迷っているからです。
例えば、「この症状に対しては、こうするといいですよ」
という記事を書こうと思えば、いくらでも書くことはできます。
けれども、それに対してストップをかけている自分がいるのです。
なぜなら、読んでくださっている方の悩みや症状、その他事情などは
「一人一人違う」から。
「こうするといいですよ」と書いた場合、
その内容がドンピシャリの場合もあれば、逆効果になる場合もあります。
例えば、「こうするといいですよ」に対して、
「私にはそれができない。私はダメな人間なんだ」
と思ってしまう方も、おられることでしょう。
また、「まずは、休養を取ってくださいね」という記事が、
行動を起こしたほうがいい方に届いてしまったり、
休養を取るべき方に、
「行動療法の段階的曝露をするといいですよ」の記事が届いてしまったり
ということも、きっとよく起こっていることなんだと思います。
そのように考えていくと、自分がブログに書くことのできる
言葉・内容が非常に限られてきます。
様々な方の心にどのように響くだろうかと、
考えれば考えるほど、書けなくなってきます。
よく、書き方の本で、「自分の感情を、生々しく描け」とか
「読み手の感情を揺さぶる文章を書け」とありますが、
それをすると、今度は、読み手に発作やフラッシュバックが起こらないか
ということが心配になってきます。
私がいつも、書籍の紹介ばかりしている裏には、
実は、そういう事情があるのです。
「書籍にこう書いてありましたよ」
「しっくりくる人だけ、参考にしてくださいね」
「書籍から、こんなことを学びましたよ」
「しっくりくる人だけ、参考にしてくださいね」
あとは、私自身の体験ですね。
「私の場合は、こうでしたよ」
「しっくりくる人だけ、参考にしてくださいね」
結局、このスタンスが、自分にとって一番しっくりきてるのですね。
読んでくださっている方の、悩みや症状が見えていないのに、
自分の言葉で言い切るようなことはしたくない。
(それをすることに、無責任さを感じてしまいます)
よく言えば「配慮」、悪く言えば「逃げ」の心理が、
私に働いています。
きっと私はこれからも、
「人は一人一人違う」ということに、直面しながら生きていきます。
その事実の重大さを受け止めながら、
一歩一歩成長していけたらと思っています。
「人は一人一人違う」
これに対して、できること。
それは、やはり、
「とことん聴く」ということに尽きると、私は思います。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございます(^-^)
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!