神田橋條治先生の本、
『精神療法面接のコツ』を読み終えました。
今日は前回の記事に引き続き、
本書から引用しながら書いていきます。
※今日は「死の受容」というテーマについて取り上げます。
まずは『精神療法面接のコツ』を読み終えた印象から。
本書には、精神療法の進め方(難事例についてや先生ご自身の体験含む)や
治療者と被治療者の関係性についてなど、
とても深い内容が細部まで考察を行き届かせながら書かれています。
カリスマ級の先生の書かれた名著ですので、
私にとっては一度読んだだけでは吸収し切れないほどの内容です。
この読み応えのある感じ、私は好きです。
これからも何度も読み返して、
実践で活かしていきたいと思います。
さて、「死の受容」について。
『精神療法面接のコツ』の中では、
比較的部分的に抜き出しやすいてテーマだと感じましたので、
取り上げることにしました。
※他のテーマ(精神療法の進め方など)については、
専門性が高い上に深くつながりあっていますので、
部分的に抜き出すのはやめておこうと思いました。
個々の人における死の受容のテーマは、その人の自己の起源についての神話とペアになっている。
互いが調和しなくては完結しない。
神に生を授かった人は神に召され、土から生じた人は土に帰る。
先祖の末端の人は先祖集団に合体する。
起源が無である人は無に帰る。
おおむね、円環のイメージが完成することで、死は受容される。
厳密に言うと、人は死を受容する作業のなかで、自己の起源と自己の生の意味とについての神話を完成させる。
その作業を完成させてあげたい。
痴呆老人であっても、せめて雰囲気の世界でそうさせてあげたい。
可能だと信じている。
●神田橋條治著『精神療法面接のコツ』
(岩崎学術出版社/1990/P195)より引用
この部分を読んで、「なるほど~」と思いました。
人は、自分が生まれた場所に帰っていく。
その円環のイメージ(起源の場所=帰る場所、生の意味も円環<流れ>に入れる)
が完成することで、死は受容される。
そういう発想をしたことがなかったので、
新鮮かつとても参考になりました。
帰る場所。
「私の場合はどうだろうか?」と考えてみました。
「光のイメージ」を使ったエネルギーワークを普段行っているせいか、
「光に帰る」というイメージがしっくりきます。
死んだ後、自分自身が光の粒々になって、
薄く広がったり、縮こまって光の塊になったりが
自由自在なイメージ。
そして、大きな大きな光の集合体の中に取り込まれていきます。
目を閉じてイメージしてみると……
うん。やっぱり、しっくりくる。
「どこから生まれ、どこに帰っていくか?」
しっくりくるイメージは、お一人お一人違います。
あなたの場合は、いかがでしょうか?
老人になってからでなくても、
あらかじめイメージしておくとよさそうですね。
その時その時で、イメージは変化していくかもしれませんが、
それも楽しみつつ、今を生きていこうと思いました。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!