加藤諦三先生の本、
『無理しない練習』を読みました。
今日は、この本の簡単な紹介と、
「自分の正体」を隠していた過去の私のことについて書いていきます。
『無理しない練習』は、
ショートエッセイ集のような読み味の本です。
「無理しないほうが好かれるのに、人は好かれようと無理をする」
というテーマで、様々な切り口から、
具体例や無理をしないためのヒントが書かれています。
1つ1つの項目が、それぞれ2~3ページ程度で完結していますので、
ちょっとした合間に少しずつ読むのにも適していると思います。
ドライに淡々とたくさんの項目が進行していくところに、
本書の個性と加藤先生の持ち味を感じました。
さて、『無理しない練習』の内容ですが、
対人恐怖に関する記述が多く載っていました。
例えば……
対人恐怖症のような人たちは、「他人に自分の正体を見破られるのではないか」と、いつも恐れている。
「自分の弱点を見破られるのではないか」と、いつも恐れている。
だから、人と接して疲れる。
よく知らない人に、自分がどう扱われるかが怖い。
低く評価されることが怖い。
拒絶されることが怖い。
まるで、一つ動くたびに、点数を書き込まれるような気がする。
●加藤諦三著『無理しない練習』(三笠書房/2015/P58)より引用
「一つ動くたびに、点数を書き込まれるような気がする」
この表現を読んで、
「そうそう、自分もそんな感じだった」と思いました。
※私は社会不安障害の卒業生です(プロフィール参照)
「一つ動くたびに」=「常に、全部」。
ちょっと手を動かすだけでも、
「今の動かし方は、みっともない動かし方ではなかったか?」
「変な風には見られていなかったか?」
と、一つ一つ心配していました。
(「理想的な、申し分のない手の動かし方<一体どんな動かし方?>を
しなければならない」という強迫観念がありました)
今思うと、社会不安障害になっても仕方のない状態だったと思います。
いつも相手からの評価を恐れて、萎縮していました。
「自分の正体」(いつも緊張していることやうまくできないこと、
劣等感のかたまりだったことなど)を隠すことや、
自分を大きく見せることにも必死でした。
友達でいてくれた相手は
「私の正体」を知った上で友達でいてくれていたのに……
当時の私は「自分の正体」を隠すことに必死で、
相手の姿や気持ちがあまり見えていませんでした。
でも、そういうのも相手に伝わっているんですよね。
昔の友達と久し振りに会ったり、電話で話したりするとき、
私は昔の自分の状態をよく打ち明けます。
すると、「知ってたよ」という言葉がよく返ってきます。
ときには「あのときはゴメン」と謝ることもありますが、
「いいってことよ」と笑いながら答えてくれたりもします。
(そういう関係性だからこそ、今でもつながっているんですよね)
そのとき、「ありがたいなぁ」と感謝しつつ、
気持ちがまた一つ緩んでいくと(過去に味わった緊張が解放されていくと)
感じるのです。
悩んでいるときには、
そこまで頭が回らなくて上手くできなかったことでも、
克服した後にフォローできることがあります。
結局のところ、「今できることをやっていく」ことが大事なんだと
改めて思いました。
(今日の記事、着地点を決めずに書き始めたら、ここにたどり着きました ^_^)
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!