今日は、信田さよ子先生の本、
『コミュニケーション断念のすすめ』を紹介します。
途中、「絆」についての引用と、
私の考えなどについても書いていきます。
『コミュニケーション断念のすすめ』
切れ味の鋭いタイトルですね。
本書は、美しい言葉として用いられがちな
「コミュニケーション」や「絆」という言葉の裏にある
美しくない部分について、信田先生が本音を綴られた本です。
ベテランカウンセラーである信田先生の視点を通して
切れ味鋭く語られている内容は、
カウンセラーとして、とても勉強になります。
信田先生の考え方と私の考え方には
似ている部分が多々ありますが、
オブラートに包むことなくストレートに思いを書いて
本を出されるあたりは、
尊敬の意味で「すごいなぁ」と思います。
ここで本書より、
信田先生が「絆」という言葉から思い浮かべるものについて
書かれているところを引用します。
私が「絆」ということばから真っ先に思い浮かべるのがDVである。
意外に思われるかもしれないが、じつは多くのDV(ドメスティック・バイオレンス)に、「相手への想像力を欠いた絆の強制」が見られる。
●信田さよ子著『コミュニケーション断念のすすめ』
(亜紀書房/2013/P60-61)より引用
この点、私も同感です。
確かに本当にピュアな心で「絆」を語る人たちも
たくさんおられます。
ですが、その裏で「絆」という言葉を、
自分の思い通りに相手を操り
自分の欲求を満たすための道具として
使っている人もいます。
例えば、このような形で。
相手の思いを聞こうとしない。
自分の思いだけを相手にぶつけて、通そうとする。
相手が自分の望む通りの反応をしてくれなかったときに、
「お前には絆というものが分かっとらん」と相手を責める。
「自分は、こんなに絆を大事にしているのに(何だお前のその態度は)」
と言いながら、相手に自分の望む繋がりや行動を一方的に強要する。
そして、「絆」の名のもとに相手に暴力を振るう。
更に、「絆」の名のもとに
逃げようとする相手を逃がすまいと絡みつく。
それのどこが「絆」やねん、と思ってしまいますが、
これがよくあるDVのパターン。
相手の意思や感情は全く配慮されていません。
私は、「ワンネス」という言葉にも、同様の違和感を感じます。
もちろん、ピュアな心で「ワンネス」を語る人たちも
たくさんおられます。
ところが、「絆」「ワンネス」という言葉には、
ストーカー行為の大義名分になりやすい側面もあります。
「絆」「ワンネス」といった言葉を大事にしている
ある集まりで知り合った人に対して、
「絆」「ワンネス」の名のもとに、
実際にストーカー的な行為をする人もいます。
「絆~!」「ワンネス~!」(更に「引き寄せ~!」)と
声高々に叫びながら(そのような勢いで)
嫌がる相手を追いかける姿は、
先ほど書いたDVのパターンと似ています。
自分の欲求を満たすことしか考えていません。
しかも、そのストーカー的行為をしている人が
自己正当化のために、その集まりの人たちに対して
「あいつは私を一方的に拒否した。ワンネスの精神に反するひどい奴だ」
と触れ回ったりすると、更に話がややこしくなります。
被害者の方が、その集まりの中で居づらくなったりするのです。
関係のない人たちから「見損なったぞ」と言われたり、
無視されるようになったりと、
正に、「ワンネスの反逆者」扱いをされるわけです。
(私の知っている、ある一つの例。了承済みで書いています)
私は、「絆」「ワンネス」は、
以下の土壌によって成り立つのではないかと思っています。
・嫌なことは嫌と言えること。
・お互いの意思・都合などを尊重すること。
・相手を操ろうとしないこと。強要しないこと。
・お互いの境界線を侵略しないこと。
安心していられる環境があって、
はじめて「絆」「ワンネス」に
近づいていけるのではないかと思います。
間違っても、相手を自分の思い通りに操るための言葉では、
決してないと思います。
長くなっちゃいました。m(_ _)m
※カウンセラーとしては、
ストーカーされる側と、する側の両方のお話を聴くケースがありますが、
今日の記事は、される側の立場寄り(する側の心の事情抜き)で書きました。
(片寄っていますが、ご理解を)
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!