ここ数回、本屋さんに行く度に
「読んだほうがいいよ、読んだほうがいいよ」と
何となく主張してくる本がありまして、
その度にスルーしていたのですが、
やっぱり気になったので、結局買ってきました。
高橋和巳先生の
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』
という本です。
早速読んでみると……
虐待を受けながら育った人の
心の中はどのようなものなのか?
虐待を受けながら育った人の目には
社会はどのように映っているのか?
きめ細かく分かりやすい表現で
教えてくれる本でした。
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』の
印象に残った箇所から一つ引用します。
「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。
「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
●高橋和巳著『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』
(筑摩書房/2014/P23)より引用
ああ、これは虐待を受けて育った患者さんと
長年に渡って深く関わってこられた先生だからこそ
気付けた視点ですよね、きっと。
「死にたい」の前提には、
本当はこう生きたいという希望や理想がある。
でも、それが不可能になった。
だから、「死にたい」。
「消えたい」は、
もともと生きる目的や意味を持ったことがなく、
楽しさや幸せを味わったことのない人から発せられる言葉。
今まで生きてきたことには何の意味も無かった。
もう疲れた。
だから、「消えたい」。
この二つの違いは大きくて、
心の中に展開されている世界も全然違う……。
私も含めて、心の専門家は
「希死念慮」という言葉でひと括りにして考えてしまいがちですが、
それでは全然理解できていることにならないですね……。
「死にたい」と「消えたい」は違うんだということを
心に留めながら、
クライエントさんの心の声をしっかり聴かなくてはと思いました。
自分の考えうる範囲の世界観、人間観、人生観に捉われずに
しっかり聴かなくては……。
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』には、
他にも参考になる記述がいろいろ載っています。
★日にちの感覚が分からない患者さんの事例(認知症ではない)
★過去の記憶が無い患者さんの事例
★虐待をした親側の事情
★回復へのプロセス
……など、読みながら何度も「なるほど」と思わされました。
予想していた以上に、深くて学び多き本でした。
(本さん、「読んだほうがいいよ」って教えてくれてありがとう)
実際に虐待を受けてこられた方が本書を読まれると
心に響きすぎる場合もあるかもしれない。
それでも、自分という存在について
理解を深めたり、気付きを得たりするための
強力なヒントが得られるかもしれない。
人それぞれ、心にどう響くかは違いますが、
自分の心と向き合う準備のできている方にとっては
とても参考になる、いい本だと思います。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!