今日は、最近発売されたばかりの本、
『河合隼雄のカウンセリング講話』の紹介と、
読んだ感想などを書いていきます。
この本は、河合隼雄先生の「四天王寺カウンセリング講座」での
講演記録がまとめられた一冊です。
下記の5つの講演が収録されています。
1 カウンセリングと女性
2 カウンセリングと芸術
3 禅仏教とカウンセリング
4 日本中世の物語の世界
5 病をいかに受けとめるか
本書は、カウンセリングの理論や手法の解説本ではありません。
もっと抽象的に、カウンセリングの本質について、
様々な切り口から明らかにしていこうという本です。
河合先生の深いお話に、読みながら何度もハッとさせられました。
「はたして自分の場合はどうだろうか」
と頭をフル回転させつつ、味わいながら読みました。
ここで、ハッとさせられたところを一つ紹介します。
「カウンセリングと芸術」の中の、
心理療法と演劇の相似性について書かれている部分からの引用です。
(クライエントさんの話の中に、登場人物がたくさんいる場面において)
たくさんの人が出てくるときに、いったい治療者はその演劇の中の何になっているのか気になります。
やって来たクライエントの演劇の中で、私はどういう役割をもっているかと考えるときに、いちばんうまくいっていると感じるのは、私が舞台になっていると感じるときです。
私は舞台で足下にいて、私の舞台の上でクライエントがすごい演劇をやって、演劇が上手に収束して終わりになる。
私は舞台ですから、ある意味では踏まれたり蹴られたりしますが、しかし私自身は登場しなくてすむ。
●河合隼雄著『河合隼雄のカウンセリング講話』
(創元社/2013/P88)より引用
カウンセリング(来談者中心療法)では、
「カウンセラーは、クライエントの鏡の働きをする」
と表現されることが多いですが、
演劇、しかも舞台になるという発想に触れるのは、
私としては初めてのことです。
「舞台」の方が「鏡」よりももっと広く、
クライエントさんのストーリーに関わっていくような印象を受けます。
実際には、「鏡」であり「舞台」でもある、というところを
目指したいと思いますが、
「クライエントさんは一人一人違う、カウンセラーも一人一人違う」
そのような無限の可能性のある中で、
自分は、どのような「舞台」になれるのだろうか、
どのような「舞台」が、自分の持ち味を活かせるのだろうか
(=クライエントさんにとってのいい舞台になれるのだろうか)
そんなことをじっくり考えてみました。
ちなみに、
「転移の現象が起きると、カウンセラーも舞台に登場することになる」
という表現もされています。
表現がしっくりきて、納得です。
転移/逆転移については、こちらの記事を参照願います。
『河合隼雄のカウンセリング講話』
知識を入れるためだけの本ではなくて、
自分を成長させるきっかけをくれる本です。
講演の度に全く異なるお話をされて、
しかも、それぞれがとても深いというところに
河合先生の凄さを改めて感じる一冊でもありました。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!