伊豫雅臣(いよまさおみ)先生の本、
『不安の病』を読みました。
今日は、その本の簡単な紹介と、
”意識しすぎて生じてしまう「ぎこちなさ」と、その解放”
というテーマについて
私の体験談を織り交ぜながら書いていきます。
書籍『不安の病』は、
専門家、一般の方問わず学べる本です。
不安に関する病の基本的な知識が
分かりやすく得られます。
具体的には、
「不安とそれに関わる症状」
「パニック障害」
「対人恐怖・社会不安障害」
「強迫性障害」
「疼痛性障害(とうつうせいしょうがい)と心気症」
……について、メカニズムと治療法が学べる本です。
本書の、「不安とそれに関わる症状」の章の中に、
私にも身に覚えのある内容が書かれていました。
運動会の行進で右足を出したときに右手も出してしまう。
●伊豫雅臣著『不安の病』(星和書店/2009/P19)より引用
私にも、社会不安障害で悩んでいた頃(プロフィール参照)、
緊張しすぎて、歩くときに手と足を同時に出してしまうということが
時々ありました。
これは、運動会に限らず、
ちょっとした日常の出来事の中でも
よくあったことです。
友人の家を訪ねたときにも、弟さんの前で緊張して
歩くときに手と足を同時に出してしまったことがあります。
弟さんに緊張しているところを見られて、見抜かれて、
とても恥ずかしく思ったことを覚えています。
※翌日友人から、弟さんが私の緊張を
見抜いていたことを聞かされました。
弟さんが見ている前で歩くときに、
私が思っていたことは……
「緊張していることを悟られてはいけない」
「緊張するなんて情けない。僕の方が年上なのに」
「手と足を同時に出して歩くといったヘマはしてはいけない」
「情けないところは見せられない」
「笑われてしまう」「馬鹿にされてしまう」
……
そんな風に、自動思考のスパイラルにはまり、
何が何でも「上手くやらねば」と
自分自身を追い込んでいました。
そして、ますます上手く歩けなくなっていました。
この現象について、理解を深めるためのヒントが
『不安の病』に書いてありました。
これは無意識のうちに「自動的に動いている」ことを「意識的に動かそう」とするときに生じてしまう「ぎこちなさ」です。
このように私たちは、無意識のうちに行っていることを改めて意識的にやろうとするとわからなくなってしまいます。
●伊豫雅臣著『不安の病』(星和書店/2009/P19-20)より引用
「自動的に動いている」ことを
「意識的に動かそう」とするときに生じてしまう
「ぎこちなさ」。
これは、歩くときに限らずに
文字を書くとき、食事を摂るとき、人前で話すとき、呼吸(発作)など
様々なケースに当てはまりますね。
「自動的に動いている」部分を
「意識的に動かそう。上手くコントロールしよう」
としても、どうすればいいのか分からないこと、
あるいは、かえって分からなくなることが多いです。
※例:一人のときは無意識に文字を書けるのに、
人前では意識しすぎて上手く書けなくなってしまう。
そして、「分からないこと」を
「意識的にきちんとやろうとする」ことで、
不安はどんどん高まっていきます。
どうすればいいのかよく分かっていないのに、
「きちんとやらねばならない」と自分を追い込むのですから、
不安になるのは当然の働き(心の)とも言えます。
この部分、とても大きなポイントだと思います。
結局のところ、「自動的に動いている」部分は
自動に任せておくのが自然だということ。
自動に任せた結果、
たとえ手と足が同時に出てしまったとしても、
「ちょっと恥ずかしかったけど、別にいいや」
と思うことができれば、
「意識的に動かそう」とせざるを得ない
心理状況から解放されていきます。
あるいは、「上手くいかなかった」ときのために、
普段から対処方法の手順を一つ一つ練習して
備えておけば、
「意識的に動かそう(上手くやらねば)」
という自分を追い込んでしまう信念や、
その裏にある不安や恐怖といった感情を緩めていけます。
※そこにある感情を否定せずに、
それを認めてじっくり感じてみることも効果的です。
参考 → 不安や症状を受け入れる(過去記事)
そして、「意識的に動かそう(上手くやらねば)」
という信念が小さくなればなるほど、
「ぎこちなさ」は消えてゆき、自然にできるようになっていきます。
今日書いたプロセスや考え方は、
私が社会不安障害を克服していくときに用いたものと
基本的には共通しています。
私がルームを開業した際には、
こういったこともクライエントさんと一緒に
取り組んでいけたらと思っています。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!