あるがまま

カウンセリング&セラピー S-Breeze
(不安症専門☆愛知・岐阜・三重)

吃音の思い出~連発から難発へと

子どもの頃から緊張しやすかった私には、
吃音の症状がありました。

具体的には、「あ、あ、あ、あした……」という
連発の症状がありました。

 

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そんな私を見て、
母は心配しながらこう言っていました。

「そのあ、あ、あって言うのやめなさい」

「もっとゆっくり落ち着いて話しなさい」

 

そう言われても、なってしまうものは仕方ない。

一生懸命「症状を消さねば、消さねば」と
私は自分を追い込んでいました。

そして、「あ、あ、あ…」とどもってしまう自分のことを
ダメな子どもなんだと思っていました。

(上手に話せる他の子どもと自分を比べていましたね)

 

今、振り返ると、
結構精神的に追い詰められていたように思います。

母は母で、心配してくれていたんですけどね。

 

今、大人になった自分としては、
吃音で悩んでいた子ども時代の自分に
「あ、あ、あってなっても大丈夫だから、話したいこと話してね」
と言ってあげたいです。

 

……ん?

「あ、そうか。じゃあ言ってあげよう」
と今、この記事を書きながら思いましたので……

セルフ・ヒプノ(自己催眠)で子どもの頃の自分に会いに行って、
「あ、あ、あってなっても大丈夫だから、話したいこと話してね」
と言ってあげました。

 

最初、子どもの頃の私は
「大丈夫じゃない。だって馬鹿にされるもん」
と言っていましたが……

 

「馬鹿にされるのが嫌なんだね」

「あ、あ、あってなってもいいんだよ。それでいいんだよ」

って何度も伝えてあげたところ、
子どもの頃の私のみぞおち付近にあった悲しみの層が薄くなり、
心の自由さをいくらか取り戻したように見えました。

 

「うん、うん、それでいいんだよ」

子どもの頃の自分の頭を撫でてから、
今いる大人の世界に戻ってきました。

 

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その後、成長するに伴って
連発の症状は薄れていきましたが、
中高生の頃、今度は第一声の出しにくさ(難発)を
感じるようになりました。

「今、声を出そう」というタイミングで
声が出ないときがありましたので、
会話には溶け込みにくかったです。

 

ありがたいことに、友人達は私のそんな部分を
個性として受け入れてくれていましたので、
特に問題にはならなかったです。

「真空切り(会話をぶった切る)の長谷川」と言って、
親しみを込めて笑われてはいましたが。

 

この症状も次第に消えていき、
大学生のときにはほとんど大丈夫になりました。

 

声が出ないときの症状を思い出すと、
まるで金縛りにあったときのようでした。

金縛りにあったときは、
「えいやっ」と身体を動かそうとしたりしますよね。

私の場合、その金縛りから離脱するときの感覚で、
「えいやっ」と第一声を無理やり出していました。

※力を入れるというこのやり方は、適切な方法とは言えません。
力を抜いて、空気の流れをよくした方がいいです。

 

当時は、スムーズな会話ができないときがあっても
仕方がなかったと思います。

どんまいです、中高生の私。

 

********************

そして、大人になった今の私。

決して流暢に話すタイプではありません。

 

実は今でも、頻度は少ないですが、
「き、き、昨日…」とどもってしまう瞬間が稀にあります。

でも、全く気にはしていませんし、
「どもってはいけない」と自分を追い込んでもいません。

 

「相手に伝わりにくかったときは、再度言い直そう」
というルールのみ決めています。

(場合によっては「ごめんなさい」と謝ることも)

 

だから、子どもの頃悩んでいた吃音は、
100%消失したかというと、きっとそうではなくて、
ほんの少しまだ残っていると思います。

私にとってのゴールは、
吃音を100%消失させることではなくて、
「それでもいいよ」と完全に思えたことでした。

※不安障害を克服したときにも、
この「それでもいいよ」が大活躍でした。

 

以上、私の吃音体験について書きました。

(あくまで1つの事例に過ぎません)

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

 


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↑この本、吃音について、分かりやすさと専門性を両立しながら、
よくまとめられています。

 

今日も、ありがとうございます!

皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!

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