ぎょっとした表情

先日から私の歯茎にはじんじんさんがいます。

こちら参照(過去の記事)

じんじんしながら思う。

 

現在は、右手側の頬がぱんぱんに腫れ上がった状態です。

腫れ上がった頬が目を上方向に圧迫し、
尋常ではない雰囲気を醸し出しています。

誰かに殴られた後のように見られても仕方がない形相です。

 

そんな状態の中、スーパーに買い物に行ってきました。

花粉症の季節に買っておいたマスクを着用して
なるべく顔が見えないように工夫しました。

それでも右目周りの腫れは隠しきれません。

やはり、どこか尋常ではない雰囲気は消えませんでした。

そんな状態ですが、スーパーに行ってきました。

 

数日間、買い物に行かなくて済むように大量の食べ物をカゴに入れ
レジに向かい、並びました。

私の番が来たとき、レジ係の女性が、私の顔を見て一瞬
ギョッとした表情をしました。

 

とても冷たい視線でした。

奇妙なものを目にしたような
汚いものを目にしたような
関わりたくないような

そんな感情が絡み合っているように、
私には感じられました。

 

その後の、レジ係の女性の対応は
丁寧で、何一つ文句のつけようがないものでした。

それでも、私の心には、一瞬だけ見せつけられた
ギョッとした表情だけが残りました。

 

もちろん、今の私には、
そのギョッとした表情と、裏にある感情を
客観的に受け止めることができます。

事実を真っ直ぐ過不足なく見つめる
という試みを通して、それを勉強材料にしています。

それに、人の表情一つで揺らいでしまうほど
繊細でも不安定でもないことを自覚しています。

 

しかしながら、昔(SADで悩んでいた頃)の自分を振り返ってみると、
今の自分とは全然違った反応をしていたことが思い出されます。

当時の私は、表情や視線の一つ一つに対して
恐怖を感じていました。

 

「ギョッとした表情」を見せつけられた後は、
どれだけ丁寧に対応されても、寄り添う姿勢を見せられても
「ギョッとした表情」は決して心からは消えませんでした。

何をしてくれたとしても、
「さっきあなたは私を見て、ギョッとしていたじゃないか」
という思いが心に付きまとっていました。

そして、「この人には、自分の心を開いちゃいけない」
という防御の心を固めていました。

 

今、教訓として思うのは、

「心の専門家が、クライエントさんを見てギョッとしてはいけない」

ということ。

 

初対面のときに、最初の一瞬でギョッとした表情を見せてしまったら、
その一瞬で、クライエントさんは深く傷つきます。

それに、心を閉ざすことでしょう。

 

やっとの思いで、頑張って来てくださったクライエントさんに対して
そんな仕打ちはないだろうと、今、改めて思います。

「最初に出会った瞬間から、
きちんと寄り添っていけるカウンセラーでいよう」

腫れた頬(と、じんじんさん)が、大事なことを思い出させてくれました。

レジ係の女性にも、感謝です。

 

今日も、ありがとうございます!

皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!