子どもの頃から緊張しやすかった私には、
吃音の症状がありました。
具体的には、「あ、あ、あ、あした……」という
連発の症状がありました。
そんな私を見て、
母は心配しながらこう言っていました。
「そのあ、あ、あって言うのやめなさい」
「もっとゆっくり落ち着いて話しなさい」
そう言われても、なってしまうものは仕方ない。
一生懸命「症状を消さねば、消さねば」と
私は自分を追い込んでいました。
そして、「あ、あ、あ…」とどもってしまう自分のことを
ダメな子どもなんだと思っていました。
(上手に話せる他の子どもと自分を比べていましたね)
今、振り返ると、
結構精神的に追い詰められていたように思います。
母は母で、心配してくれていたんですけどね。
今、大人になった自分としては、
吃音で悩んでいた子ども時代の自分に
「あ、あ、あってなっても大丈夫だから、話したいこと話してね」
と言ってあげたいです。
……ん?
「あ、そうか。じゃあ言ってあげよう」
と今、この記事を書きながら思いましたので……
セルフ・ヒプノ(自己催眠)で子どもの頃の自分に会いに行って、
「あ、あ、あってなっても大丈夫だから、話したいこと話してね」
と言ってあげました。
最初、子どもの頃の私は
「大丈夫じゃない。だって馬鹿にされるもん」
と言っていましたが……
「馬鹿にされるのが嫌なんだね」
「あ、あ、あってなってもいいんだよ。それでいいんだよ」
って何度も伝えてあげたところ、
子どもの頃の私のみぞおち付近にあった悲しみの層が薄くなり、
心の自由さをいくらか取り戻したように見えました。
「うん、うん、それでいいんだよ」
子どもの頃の自分の頭を撫でてから、
今いる大人の世界に戻ってきました。
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その後、成長するに伴って
連発の症状は薄れていきましたが、
中高生の頃、今度は第一声の出しにくさ(難発)を
感じるようになりました。
「今、声を出そう」というタイミングで
声が出ないときがありましたので、
会話には溶け込みにくかったです。
ありがたいことに、友人達は私のそんな部分を
個性として受け入れてくれていましたので、
特に問題にはならなかったです。
「真空切り(会話をぶった切る)の長谷川」と言って、
親しみを込めて笑われてはいましたが。
この症状も次第に消えていき、
大学生のときにはほとんど大丈夫になりました。
声が出ないときの症状を思い出すと、
まるで金縛りにあったときのようでした。
金縛りにあったときは、
「えいやっ」と身体を動かそうとしたりしますよね。
私の場合、その金縛りから離脱するときの感覚で、
「えいやっ」と第一声を無理やり出していました。
※力を入れるというこのやり方は、適切な方法とは言えません。
力を抜いて、空気の流れをよくした方がいいです。
当時は、スムーズな会話ができないときがあっても
仕方がなかったと思います。
どんまいです、中高生の私。
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そして、大人になった今の私。
決して流暢に話すタイプではありません。
実は今でも、頻度は少ないですが、
「き、き、昨日…」とどもってしまう瞬間が稀にあります。
でも、全く気にはしていませんし、
「どもってはいけない」と自分を追い込んでもいません。
「相手に伝わりにくかったときは、再度言い直そう」
というルールのみ決めています。
(場合によっては「ごめんなさい」と謝ることも)
だから、子どもの頃悩んでいた吃音は、
100%消失したかというと、きっとそうではなくて、
ほんの少しまだ残っていると思います。
私にとってのゴールは、
吃音を100%消失させることではなくて、
「それでもいいよ」と完全に思えたことでした。
※不安障害を克服したときにも、
この「それでもいいよ」が大活躍でした。
以上、私の吃音体験について書きました。
(あくまで1つの事例に過ぎません)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
↑この本、吃音について、分かりやすさと専門性を両立しながら、
よくまとめられています。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!