もう1月も8日となり、出遅れた感がありますが、
今日は初詣について書いていきます。
昔、私が社会不安障害で悩んでいた頃、
初詣が苦手だったという話です。
↑今年も稲沢(愛知県)にある国府宮さんに行きました。
4日に行きましたので、人が少なめ。
並ぶ必要がなかったです。
昔、初詣のどんなところが苦手だったのかというと……
多くの人がいる中で、後ろの人から見られながら、
二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)をするのが苦手だったのです。
とくにですね、「二拍手」の部分。
手を「パン!パン!」と鳴らす、お馴染みの動作です。
当時、私にはある信念がありました。
それは……
男たるもの、「パン!パン!」とカッコよく、
大きな音を鳴らさねばならない
という信念。
その信念が、私を追い込み苦しめました。
当時、カッコよく大きな音を鳴らすために、
私は初詣に出かける前に、
家で入念に「パン!パン!」の練習をしていました。
そして、家で「パン!パン!」と鳴らせることを十分に確認した後、
初詣に出かけていました。
ところが現地では、家と違って多くの人の視線を浴びながら
「パン!パン!」をしますよね。
当時の私は、周囲からの視線で硬直してしまい、
思い通りの拍手ができませんでした。
「パン!パン!」と鳴らすつもりが、実際に鳴った音は、
「ピシャン!ピシャン!」という当たり損ねのような小さな音。
その音が出た瞬間、私は
「ああ、またやってしまった!」と
情けない(と当時は感じていた)自分を嘆きました。
そして、以下のような思考に支配されました。
「情けない、恥かしい音を出してしまった」
「男として失格だ」
「みっともない姿をさらしてしまった」
「皆が私のことを馬鹿にしているはずだ」
「ああ、早くこの場からいなくなりたい」
……
そんなことをグルグル考えながら、神様にお礼を伝えるわけですが、
これではお礼どころではないですよね。
「いかにして、これ以上恥をかかずにその場を去るか」
「いかにして、緊張を悟られないようにやり過ごすか」
そんなことばかり考えていました。
(でも、考えれば考えるほど、より緊張が高まっていきました)
一緒に行った人に情けないところを見られたり、
緊張や失敗を指摘されたりすることも恐れていましたね。
結局、神様にきちんとお礼も伝えられず、
ただ緊張して恥をかいて(かいたつもりになって)、
惨めな気持ちで帰ってきただけ。
そんなことを何年か繰り返しているうちに、
私は本当に初詣に行くのが苦手になってしまい、
数年間行かない時期もありました。
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……今ではすっかり過去のこととなりましたが、
当時は本気で悩んでいました。
自分自身の「ねばならない」の思考(べき思考)が、
自分の緊張しやすさを助長して、ますます苦手になってしまった。
そして、回避するようになってしまった。
そんな事例でした。
ちなみに今の私は、「パン!パン!」という
大きな音を出そうとはしていません。
小さく「ポン!ポン!」と拍手しています。
(たとえ音が小さくても、私は「男として失格」ではありません)
たとえ「ピシャン!ピシャン!」と鳴ってしまったとしても、
それはそれで味わいがあっていいんじゃないかなと思っています。
(「どっちでも構わない」という感じです)
神様にお礼をしっかり伝えるという目的が果たせれば、それでいい。
緊張してもいいし、カッコよくなくてもいい。
(でもそう考える結果、はるかに緊張しない)
「緊張しても、カッコ悪くても、私は私。揺るがない」
それが定着してからは、初詣や参拝が好きになりました。
最後に、今年のおみくじの結果を。
↑横の写真ですみません
(iPhone撮影の写真を加工しても上手くいかなくて)
運勢は、「吉」。
キーワードは、「改革」「新しいやり方」のようです。
「新しいやり方」を見つけながら、
前に進んでいきたいと思います。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!